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将棋の豆知識23〜24 光風社 将棋101話 転用

23 雛祭の三面-2009.09.01-

 雛祭のころ、飾り棚を七段にするか八段にするかで、東西業者の意見が新聞紙上をにぎわしていた。これまで、七段飾りが普通であったのに、中京地区の業者が八段飾りの新企画を持出して、東京方になぐりこみをかけたらしかった。

 新聞は、「七、八段論争」と大きな見出しを掲げてあった。

 そのころ、私はデパートの売場をのぞいて見た。豪華な雛人形が所せましと並んでいる。実のところ、「七、八段論争」に興味があって売場を歩き廻ったのではない。

 復古調の世の中だから、昔風に、将棋・囲碁・双六の三面が復活しているのではないだろうか。そのほうに興味があった。

 雛人形のことは、すでに平安時代の文献に出ている。「ひゐな」と呼ばれていた。そのころは、立雛(紙雛)である。室町時代に至って、坐雛(人形雛)ができて、江戸時代の中期ごろから、いまのような雛人形の形式が整った。

 江戸時代中期というのは、『守貞漫稿』の記述によれば、元禄時代であるらしい。それからは年を追うごとに華美に流れて、幕府はしばしば禁令を発したが、一向に効き目はなかった。商人階級が財力を増してきて、雛祭を盛大に催すようになっていた。

 もっとも、江戸と京都では、多少は飾りつけの趣向が異っていた。江戸は、上段に夫婦雛、二段には官女などをおき並べ、それ以下の段には、琴や三絃や琵琶と並べて、将棋・囲碁・双六の三面を飾ることとなっていた。

 三面は必ず、「黒漆ヌリニ牡丹唐草ノ蒔絵アルヲ普通ト」したと書いてある。贅を競ったものである。

 ことし、デパートの雛人形の売場には、三面が並んでいた。需めようと思って手にとって驚いた。昔どおりに蒔絵をほどこしてあるが、残念ながら、プラスチック製であった。

 昔から女性にとって---とくに貴族には、将棋・囲碁・双六は欠せぬ教養であった。大名の姫君が嫁ぐときは、輿入れ調度として、必ず家紋入りの三面を持参した。

 輿入れの三面や、雛祭の三面は、徳川家や井伊家に伝えられている。雛祭の三面は庶民も飾ったものなので、数多く残っているのではなかろうか。私の見たのは旧大名家のほかでは、東京・赤坂の料亭のものである。四国の旧家でも発見されたと人づてにきいた。

 『南紀徳川史』には、三面の代価を記した貴重な記録が載せてある。輿入れの三面は、諸色こみで銀七百二十匁、雛祭用は銀二百四十八匁と書いてある。

 文化十三年(一八一六)の資料であって、すでに、インフレの波に襲われていて銀の値段は下落しているが、一応は平均値で銀六十匁を小判一両とすれば、輿入れ調度は三面で約十二両となる。十二両を三等分すれば、将棋盤と駒は四両に余る豪華品ということになろう。

 雛祭の三面は約四両であるから、これも均等割りすれば、一面当り一両余という高値なものであったことが判る。

 江戸後期の一両を現代の貨幣に直せば、いくらになるか。大名の注文品なので、市価よりはうんと安く納入したことだろう。実際はいくらと値踏みすれば、いいのであろうか。

24 女流は花ざかり-2009.10.01-

 昭和五十一年五月十四日、NHKラジオで、「江戸時代の女流棋士」というテーマで十五分間、放送をした。

 昔から、女性は将棋に縁がうすいようにいわれるが、文献にあらわれないだけであって、「封建時代」といわれ、男尊女卑といわれた江戸時代でも、数多くの女性が将棋に親しんでいた。

 昨年の正月すぎ、取材で関西方面に旅行したとき、学友で代議士の宇野宗佑君を守山市に訪ねた。床の間に、柳里恭の山水画がかけられてあった。先祖に文人墨客を持つ旧家の宇野家は、郡山藩の文人藩士と深い交りがあったらしい。

 柳里恭のことを宇野君と語り合った。そのとき私は、彼の母が将棋史に名をとどめる最初の将棋ファンだと説明した。ラジオ放送でも、そのことから語り出した。

 柳里恭の『ひとり寝』に、「将棊をさすにも、詰め際に成て考へるもの多し、余が母(山崎勾当の弟子にて、はなはだつよし)いひしは、詰際より案ずるは初心のうち也、駒組のうちより詰際を案じてさせといふ」と書いてある。

 山崎勾当は、元禄から享保時代に活躍した民間棋客である。正徳三年(一七一三)に、『象棋亀鑑』という本を出している。そのころの有力棋客が弟子をとっていた、というのも面白い。

 将棋は、「終盤にきて慌てて考えこむのはよくない」というくらいだから、柳里恭の母者びとは、かなり強かったのだろう。

 それからあと、女流の系譜はぷっつり絶えて、文化・文政ごろに至って、女流棋士の第一号とも呼ぶべき大橋浪女が名のりを挙げるが、それは、「文献で見る限り」という注釈を付すべきである。

 元禄のころ、雛祭に、将棋・囲碁・双六の三面が飾られ始めたことは、将棋と女性との深い縁を示すものであろう。

 将棋は指せなくっても、女性たちは将棋遊びに興じていた。「はさみ将棋」が盛んであった。「はさみ将棋」の遊びから、「本将棋」に進むのが、将棋を覚える道順である。だから、「はさみ将棋」を愉しむ女性は、将棋の予備軍と見ていい。放送でも、そう語った。

江戸時代の川柳に、

  おちやつぴいはさみ将棊がたつしや也

 という句がある。『諧風柳多留拾遺』十編に載せる。「おちやつぴい」は、現代語では、「蓮葉娘」と受取られるが、三田村鳶魚によれば江戸時代は、「年ごろの娘」というくらいに解していいらしい。女性と将棋を詠んだ川柳は珍しい。

 ほかに、『武玉川』に、

  はさみ将棋の強く成乳母(六編10・宝暦四年刊)

  はさみ将棋に眼の動く瞽女(十八編20・安永四年刊)

 という二句が見える。

 石川雅望の戯文、『吉原十二時』には、午後二時を迎える太夫の部屋の挿絵がある。床の間に、将棋盤が飾ってある。手持ち無沙汰のおり、太夫は禿たちを集めて将棋を指したものであろうか。

 本将棋か、「はさみ将棋」の遊びであったのか。

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