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将棋の豆知識37〜38 光風社 将棋101話 転用

37 ネタは白話小説-2010.11.01-

 以前、『将棋庶民史』(朝日新聞社刊)をまとめるとき、江戸の文芸について『将棋世界』誌に、しばらく連載をした。

 将棋を題材とする川柳を集めて見たものの、どう解していいか見当がつかない句もあった。それを教えてもらおうという「ずるい考え」も手伝っていた。

 世に川柳好きが多く、江戸時代の川柳を研究している人の多いのを知って驚いた。驚いたというよりは、恐れ入った。そのとき、二百人余りの方々から手紙をもらい、多くのことを教えて戴いたのは有難かった。にわか勉強で多少とも江戸時代の川柳の醍醐味が味わえるようになったのは、そうした数多い川柳ファンのおかげである。

 そのころ、江戸の庶民は、驚くほどに博学であった。八大将軍吉宗の時代から、中国白話小説(宋以後におこった口語体の小説)の翻訳が盛んとなり、江戸の庶民は、『三国志』をはじめとして数々の訳本をむさばり読んだ。

 江戸時代の川柳は、庶民の文芸である。山路閑古の『古川柳』(岩波新書)によれば、川柳の作者は庶民階級の無知の者が多かったという。その例として、敬語の使い方を知らず、そのために句の解釈に戸惑うこともあるらしい。ただ、選者は、「古今独歩といわれる選句眼を持っていた人物」であるから、選者の選を信用して、研究者は故事を調べるそうである。

 将棋を詠んだ句には、そうした煩わしさはない。出典さがしが、私には苦労の種であった。たしかに「無知」な庶民も気軽に投句したが、なかには、かなりな知識人が名を秘して投句することもあったという。

 金銀を置いて桂馬を関羽とり(十三編24)

 この句は、読者から数えられるまではチンプンカンプンで、私には理解できなかった。出典は『三国志』である。

 ---関羽は曹操にとらわれの身となっていた。曹操は何とかして関羽を味方につけようとして、金銀、美女を贈ること頻りであったが、関羽は心を動かさない。

 ある日、一日千里を走るという名馬、赤兎馬を見せると、初めて、にっこりして、これを受取った。のち、関羽は、曹操のもとを去るが、そのとき、金銀は封をして庫のなかに残してあった・・・。

 この故事を下敷きとしたもので、「桂馬」というのは、金銀から引出された川柳特有の縁語である。従って、この「桂馬」には特別の意味は無い。たんに「馬」と解すればよい。

 はんそうは王手飛車手をかけたがり(拾遺五編21・明和中)

 「はんそう」は、楚の項羽の軍師である范増のことである。その范増が、項羽のために三計を設け、鴻門に沛公を招いて頻りに殺す機会をうかがう。あるいは、沛公の謀臣、張良を除こうとする。

 ---そうした古い中国の故事を踏まえた句である。

 翻訳小説や講談で、江戸の「庶民」はこんな話もよく知っていた。

38 さかうま-2010.12.01-

 入玉のことを江戸時代には、「入り王」といった。上方では、「さかうま」といった。『醒睡笑』巻之四「そでない合点」の第28話に、

 ---「上手の碁が、今朝めし過ぎより八つさがりになるが、いまだ二番はてぬ」といふを聞きて、「それは逆馬になった物であらう。はてまいぞ」。

 という笑話がある。紀州育ちの私なども、子供のころは、「さかうま」と呼んでいたことを思い出す。川柳には、入り王の句が多い。いまみたいに「入玉規定」はなかったから、双方、根限りに戦う。時間も長引いて、はた迷惑ということになるが、江戸っ子は野暮はいわず、そこはさらりと受け流して、入玉のもつれを笑いの渦のなかに吹き消してしまう。

 入王は前九年ほど手間がとれ(拾遺十編20・安永四年刊)

 源義経・義家父子は、朝廷の命で奥羽の安倍頼時とその子の貞任・宗任を討った。「前九年の役」と呼ばれるように、後冷泉天皇の天喜二年(一〇五四)から康平五年(一〇六二)まで九年の歳月を費した。

 いまは、入玉は駒数によって判定するが、昭和十四年、梶一郎六段(のち八段)と溝呂木光治七段(贈八段)との香落戦は、五百五、六十手を要した。当時の新聞には、二百手ぐらいまで発表されている。現在、記録として残る最長手順だ。今も昔も、双方、入玉ともなれば、「前九年の役」ほどに手間が掛るものである。

 逆カ王を貰ひに出たる料理人(初編6・明和二年刊)

 「逆カ王」は「入り王」と同義。江戸の、とある茶屋の二階の間と思し召せ。料理が出るまで、と指し始めた将棋がもつれて入玉となった。膳の用意ができたというのに、二人は見向きもしない。困り果てた料理人が揉み手であらわれて、「この勝負は預りということで・・・」と頭を下げた。

 逆カ王を「貰ひに出たる」と詠むところが、川柳独特の表現である。

 『誹風柳多留』は、明和二年(一七六五)から天保九年(一八三八)まで百六十七編の刊行を見るが、「古川柳」としての香りを保ち、鑑賞にたえるのは、初代川柳の息のかかった二十四編(寛政三年刊)まで。初編に見える右の句は、川柳独得の「うがち」「おかしみ」がにじみ出ていて、なるほど佳句である。

 ほかに、「入王」を詠んだ句は、

 入王に成て女房ハえんを切り(拾遺七編20・明和年中)

 入王を子にくづさせて夜食にし(拾遺九編28・明和中)

 入王になると見物碁にたかり(五編4・明和七件刊)

 碁に見物の移る入り王(武十八編32・安永五年刊)

 入王になつてへんじを書きかかり(十二編22・安永六年刊)

 入王に成ルとさかなや助言ンする(十三編6・安永七年刊)

 『誹風柳多留拾遺』は、寛政末期、川柳も文学性を失いかけて狂句に堕す傾向が強いなかで、時流にまどわされず、宝暦、明和、安永、天明度の句を集めたものとして評価されている。

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