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将棋の豆知識5〜6 光風社 将棋101話 転用

5 朝倉駒の知恵-2008.03.01-

 日本の将棋駒は、見た目にはシンプルで、単純化された様式のなかに、どっしりとした質感を秘めている。八十一目の盤に並べた姿も美しく、それに、実用的でもある。子供たちの将棋遊びにも、遠い昔の時代から活用されている。

 ただ、「所かわれば品かわる」というか、異国人の目には異様に映り、実用という面でも不便を感ずるものらしい。

 嘉永六年(一八五三)、琉球に来航し、つづいて日本の土を踏んだペルリ提督は、その著『日本遠征記』のなかで、日本将棋の図を示して、指し方やチェスとの違いを不思議そうに報告した。

 乗員の軍医グリーン博士と僧官ジョーンズ氏とが函館の街を歩いていて、番小屋で日本人が将棋を指しているのを発見した。「この遊技は将棋Sho-Ho-Yeと云ばれるもので、日本人の間に非常に愛好されている」と書いている。(岩波文庫より引用)

 医師は通訳の助けを借りて習いはじめて、「遂にその極意に通じることに成功した」とも書いている。ルールが簡単なので、「極意に通じる」ことは別としても、すぐにゲームを試みることができる。それがまた、将棋のよさでもあるわけだ。

 日本将棋を指して、医師はいくつかの不便を発見した。八十一の目には、「吾々のものと同じように便利な色づけをしてもよさそうだ」という。チェスは色わけで陣地を区別する。駒の色も敵と味方では色を変えている。

 医師のもう一つの嘆きは、駒の底部は自分にだけしか見えないものだから、色を塗って区別していたら、「もっと楽に区別がつくだろう」と面白い意見を出している。

 以前、この話を大山康晴名人にした。その場で賛意を表してくれたのは嬉しかった。大山さんは海外旅行の経験も多く、盤や駒の大きさも古風を固執せず改革していいのではないか、という考えの持ち主である。現に、「大山駒」と銘うって、裏文字は朱を用いる駒を製作させて市販に出している。文字も、略字を採用するという新案を打出している。

 朝倉駒の調査旅行に出たとき、「駒に落書きしてあるんですよ」と角行と香車の駒を見せられた。落書ではなかった。

 「駒の性能を図示してあるんですよ」

 そう説明して、しばし私は絶句した。

 何という素晴らしい知恵であろうか。角行は、ななめ前後・左右にどこまでも動くことができる。その性能を駒の四隅に矢印のごとく「|」で示してある。

 いま、初心者向きの将棋本では、性能を教えるのに盤面に駒をおき、矢印で進む方向を示す方法を用いる。それを四百年前の将棋ファンが、すでに実践しているのには驚き、感心した。

 朝倉駒のうち、いく枚かは尖端がまるく、あたかも人形のように見えた。もしそれが、グリーン博士の説のごとく形を変えて区別をする試みなら、何という知恵であろうか。

 仔細に検討した。理由は判らない。ふと、勝負に負けてカリカリと歯で咬みちぎったのではないか、と勝手な想像をした。

 打ち負かされた口惜しさは、今も昔も変りないはずである。

6 再使用のルール-2008.04.01-

 いまの日本将棋は、駒の再使用を認めている。駒数の多い古将棋は、いずれも駒は取捨てであった。古将棋のなかで指し方の判る中将棋も、取捨てである。

 チェスも、中国将棋も、朝鮮将棋も、世界各国で行われる将棋は、すべて駒は取捨てのルールである。いまの日本将棋だけが、駒を再使用するルールとなっている。まさに、世界に冠たる発明ということができよう。

 千変万化。五百年に及ぶ長い歴史のなかで、一度たりとも同じ将棋が指された例はない。盤上の変化は「無限」にひとしく、その変化をきわめ尽すのに、高等数学の計算を以てしても百年以上はかかるとされている。

 いつか、『週刊文春』主催の「名将戦」の観戦で、日本数学界の泰斗、矢野健太郎博士と席を同じゅうして、質問を発してみた。

 「そうですね。無限ということです。」

 と博士は同意を表されていた。

 それでは、この「再使用のルール」は、どのようにして発案されたのであろうか。

 十数前、将棋の歴史をまとめて朝日新聞社から『将棋文化史』(光風社書店より増補出版)として出版するとき、つぎのように書いた。

 −−−足利末期は将軍の権力が衰えて、全国は戦乱の巷と化した。ところが、諸外国と異って、異民族をまじえぬ日本人の戦争は、いわば大将と大将との個人戦という形をとっている。いつの時代を見ても、勝者は敗者を皆殺しにするという残酷さはない。むしろ、勝者の兵をわが配下として勢力の増強をはかるを常とした。

 こうした戦乱の繰返しの時代に、いまの将棋は誕生した。日本将棋に独特の「取った駒を再使用」するルールは、こうした戦乱と、足軽の跳梁といった時代の思想・世相を反映して工夫され、採用されたものではなかろうか・・・。

 そうした考えに到着するまでにはいくつもの廻り道をした。仏教上の「輪廻」とか、キリスト教の「復活」の思想に、一つの拠を求めようとしたこともあった。

 ほかにも、いく人かの好事家に、駒の再使用をどう解するかと聞いて廻った。

 いくつかの廻り道をして、前記のような解釈に落着いたのは、鎌倉時代の史書である『吾妻鏡』の治承四年(一一八〇)四月九日の条にある文章に接したときである。

 −−−前右兵衛佐頼朝以下源氏等を催し彼氏族を誅す・・・・・・。

 ここでいう「彼氏族」とは、平氏のことであって、源氏は、その平氏の「氏族」を討とうという意味である。『武家の歴史』の著者中村吉治氏は、「皆殺しにしようという意味ではない。棟梁を殺して一族を解散させようというほどの意味である」と解している。

 日本の合戦は、ことに武家の棟梁が抬頭してからは、「棟梁を殺して一族を解散」させる争いであった。

 右の考えがまとまってから、歴史学者の児玉幸多博士の教示を仰いだ。その考え方が妥当である、と博士はおっしゃった。

 「駒の再使用」という独特のルールを解明するまでには、そのような「廻り道」があった。その解釈は、いまも間違っていないと思っている。

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