95ペンネーム -2016.1.01-

 天狗太郎のペンネームを用いて二十余年になる。この名で観戦記を書き、将棋の歴史を書いてきた。

 「天狗」というのは、御存知のとおり想像上の怪物で、鼻が高く羽を持って自由に仙境を飛ぶことができる。転じて高慢とか腕自慢という意味がある。

 けれど、私は鼻が高いわけではない。腕自慢するほど将棋も強くない。専門棋士の解説をうけて、辛うじて観戦記者の役を果している「天狗」は深山に棲むところから孤高という意味がある。私は、これに惹かれてペンネームとした。「太郎」は、三好達治の詩のなかで一番好きな、「太郎を眠らせ/太郎の屋根に雪降りつむ」から借用した。

 こうして名づけたペンネームも、二十年も使っているうちに、すっかり私の分身となり、私自身になってしまった。

 それでも、最初のころは妙に落着かなかった。

 ある会合で、呼出し嬢のアナウンスがひびいた。

 「そちらのお席に天狗さん・・・」

 ここまで云って、呼出し嬢はくすりと笑った。それから笑いを噛み殺した声で、「—天狗さんがおいででしたら、電話口までお越し下さい」と、早口でつづけた。

 天狗太郎といってしまえば何でもないのに、彼女は、「天狗さん・・・」と、いいかけて、これは呼出し依頼人の悪ふざけだとでも勘違いしたらしい。

 そのときは、私も面喰った。

 以来、見知らぬ女性から、「天狗さん」と、呼びかけられると、妙にこそばい思いがした。「天狗太郎・・・」と、呼ばれると、これは自分の分身だから、素直に、「はい」と、返事することができた。

 けれど、近ごろは、このペンネームは私のニックネームにもなっているらしい。

 「おい、天狗」

 酒席で先輩の作家たちは、たいてい、こう呼ぶ。また、ある先輩は、

 「おい、天ちゃん」と、呼ぶ。

 だから、私は、このところ、ずっと天狗太郎のペンネームで本を出している。NHKテレビにゲスト出演するときも、天狗太郎を名乗っている。

 その私が、『オール読物』に本名で将棋小説を書き出した。

 これについて、思い悩むことがある。将棋史の研究に取組む私は、できるだけ巷説を排し、良質な史料に基づいて将棋の歴史を組立ててきた。

 その私が、将棋史を素材に小説を書く。一つの素材も、将棋史研究家の立場で扱うのと、小説家の目で見るのとでは、自ら反応が異る。素材そのものが変質してしまう。小説は私の場合、フィクションの世界である。そう言い切ってしまっても、心のなかでは、この二つの人格は激しく抗争をつづける。抗争の挙句、小説を書くときは、将棋史研究家である一方の自分をあっさり棄てることとした。

 むろん、私は天狗太郎のペンネームは棄てない。観戦記の筆をとり、将棋史の研究により精密な考証をつづけたい。そして私はまた、これからも将棋を題材とした小説を書きつづけてゆきたい。

 いまペンをおこうとして、何やらこの一文が、自己弁明の逓辞になってしまったことに気がついた。寛恕を賜りたい。

96わが著書を語る -2016.2.01-

 朝日新聞社から刊行した『将棋庶民史』について、「わが著書を語る」という一文を書けという。わが本のPRはどうかと思ったが、編集者と会っているうちに、いつの間にか引受ける羽目となってしまった。

 日本の将棋は、「取った駒を再使用する」というルールを創案し、世界の将棋に例を見ない。その日本の将棋の歴史を書いた本がないというので、研究を重ねて、9年ほど前に朝日新聞社から『将棋文化史』一巻を刊行した。

 将棋の歴史を正面から捉え、文化史という横糸を織りまぜて、その本を書いてみた。こんどの本では、将棋というものを、横から、あるいは斜から、ときに裏から覗いて、そのものが担う伝統文化を浮き出させようと試みた。

 約500年前に誕生したいまの将棋は、当初は宮廷や公卿たちといったエリート族の手慰みであった。それが、戦国時代に移って武将の手に渡り、江戸中期以後は完全に庶民の娯楽となった。

 そうした歴史の流れを、主として江戸期の連歌・笑話・川柳・狂歌・黄表紙・洒落本・滑稽本・読本・合巻といった文芸作品のなかから眺めて見た。

 それと同時に、「将棋倒し」「高飛車」「成金」といった将棋用語が、日用語と化して一本立ちしてゆく過程をさぐって見た。

 つぎに、将棋の駒が、「金になる、銀にかえる」という縁起をかついで、質屋の看板や両替商の鑑札、はては「将棋形の錘」や「火消の目印」にまで組込まれた例述のなかで、庶民と将棋との結びつきを考えて見た。

 何しろ、初めての試みであり、手引書がないので、手さぐりで資料を捜し歩いた。せっせと国会図書館に通ったり、地方の資料館を尋ね歩いたりした。

 この本をまとめるのに、前著と併せて20年を越える歳月を要したのも、「手さぐり」に頼るよりほかに方法がなかったからである。

 とくに、こんどの本では、資料の在所をさぐると同時に、それを裏づける絵図を捜し出すことに多くの時間を費した。文献の上だけでなく、実際に形として残っているものを加えることは、庶民史と銘打つ限りは必要欠くべからざることであると思った。

 幸い、私は「天狗太郎」のペンネームで長く新聞に観戦記を書き、また将棋史に関する雑文や研究を発表しつづけるので、各地に縁につながる人が多い。その関係の人びとから、時に思いがけないプレゼントを受けることがあった。

 『将棋庶民史』を書けと教えてくださったのは、昭和薬科大学理事長で文学博士の荻原光太郎先生であった。庶民史とはどういうものか。それすら私には「手さぐり」であった。

 いうまでもなく、将棋は庶民の遊びである。ルールが簡単で、道具も安く手に入るので、それはまさに庶民に打ってつけの娯楽である。同時に、将棋は、日本人が世界に誇り得る頭脳ゲームであり、さまざまな伝統文化を背負って生きつづける。

 こんどの本で、そのことを明らかにして見たかったわけである。

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