73専門棋士の免状 -2014.03.01-

 専門棋士に免状がないといえば、不思議に思う方も多いだろう。プロには、免状を授与しないのが、戦前の将棋界の仕来りであった。

 戦後、棋界は「順位戦」という新制度を設けて昇段を決めている。毎年四月、各クラスで上位を占めた者が、規定に基づいて昇段する。そうした制度のために、昇段者の名を発表するだけであったが、四月一日、順位戦の「指初め式」を行うようになり、そのとき昇段者に免状を授与することとなった。

 免状の文言は、熱心な将棋愛好家である作家の滝井孝作氏の撰されたもので、格調高い文章として絶賛を浴びている。

 段位によって、文言が異る。専門棋士の場合は、「棋士○○○○」と書き、時の将棋連盟会長が署名をする。

 アマチュアは、「○○○○殿」と「殿」を付し、時の会長、名人、十四世名人木村義雄が署名をする。

 プロとアマのもう一つの違いは、次に示すごとく、プロには「免許」の文字を用い、アマチュアには「允許」なる言葉を用いる。さらに、プロでも八段以上は「推ス」という表現を用いる(—上段はプロ八段、下段はアマ六段の免状)

 ほかに、「贈位状」と「推戴状」とがある。「贈位状」は、王将位、十段位、王位、棋聖位、棋王位といったタイトル保持者や、名誉名人などを贈る場合に用いる。

 「推戴状」は、名人位獲得者に限り、「貴殿ハ今期名人決定戦ニ優勝セラレタ ココニ第○期名人トシテ推戴致シマス 昭和○年○月○日 日本将棋連盟 会長」という文面である。昭和十年から、終身制の名人制は選手権戦に変った。だから、いまの名人は、厳密にいえば、「第○期名人」というわけである。

 別に、故人に贈るものとして「追贈状」がある。専門棋士もアマチュアも同じ趣旨のもので、文面は、アマチュアなら、それぞれの功績に応じて作成する。多くは、「名誉○段ノ称号ヲ贈ル」という形式を踏み、戦後では、幸田露伴、菊池寛、佐佐木茂索氏ら文人を初めとして、政・財界の人に贈られている。

 アマチュアの最高は六段。戦前は棋士個人の名で授与することもあった。いまは、すべて日本将棋連盟が授与する。「認定証」は、あくまでも段位認定の証であって、免状ということはできない。

 文字は能筆家で知られる荒巻三之八段が、一枚一枚丹精こめて執筆する。用紙は、特別注文の檀紙(厚手で白く縮緬のようなシワのある日本紙)、外装は桐箱である。掛額として用いることもできる。

 免状とは『字源』によれば、「ある事を行なう自由を与える証として官府・学校または師家より付与する証書」と書いてある。 さしづめ、将棋の免状は「師家より付与するもの」ということとなろう。

74江戸時代の免状 -2014.04.01-

 江戸時代は、時の将棋所(名人・将棋家)が免状発行権を握っていた。

 蜀山人で知られる大田南畝は『一話一言』で、明和七年(一七七〇)、時の老中田沼意次の立会で、寺社奉行より碁所の任命があったときの書付の写しを掲げる。将棋所任命の書付は未見だが、同じ文意であったのだろう。

 —向後、手合等の事、逐吟味差しはかるべき者なり・・・。

 江戸時代に「手合」というのは、手合割、すなわち、段位の謂である。将棋所や碁所は段位を定める権限を持ち、免状の発行権を手におさめていたことは、右の記録で知れる。

 江戸時代、専門棋士といえば、大橋本家、同分家、伊藤家—幕府から禄を受ける者をさす。しかも、将棋家の者の昇段は「届け出制」であったから、プロには改めて免状というものは発行しなかったのであろう。

 免状は、アマチュアの愛棋家に与えるものであった。

 いまに伝わる一番古い免状は、元禄十年(一六九七)五月十八日付のもので、四世名人・五代大橋宗桂が授与したものである。「今後は一番は飛車と香落、一番は飛車落の間の手合」で指してよろしいという認可状の形式をとっている。いま風にいえば、二段の免状である。

 つぎに古いのは、享保九年(一七二四)正月に、六世名人・三代大橋分家宗与が授与したもので、名宛人は、「麟藪木下公」となっている。「足下は予に随て将棋を学んで久しい。機変の功頗る至る。これによって五段(角落)の手合を免許する」と書いてある。

 つぎに古いのは、元文四年(一七三九)九月十八日付のもので、七世名人・三代伊藤宗看が授与した初段の免状である。これには、「官賜象戯所」という、いかめしい肩書が誌されている。名宛人は、紀州藩士である。

 右の三つの免状は、いずれも、相手の望みを承知し、手合(段)を差許す、という形式をとっている。

 つぎに古いのは、寛政十一年(一七九九)九月、九世名人・大橋分家宗英が、平木官次郎に授与したもので、手合は「定飛車香車落」というのだから、初段の許しである。宗英もまた、「官賜御将棋所」という肩書を付してある。

 この宗英の免状は、前の三つの古免状とは異って、「師家より付与する証書」という形式を採用する。以後、免状は文言に差異はあっても、この「師家より付与」という形をとっている。

 明治維新となり、将棋三家は禄を失って野に下った。それでも、免状発行権は旧将棋三家の手にあった。明治十四年に大橋分家の九代宗与が、同二十六年に伊藤家の八代宗印が他界し、大橋本家十二代の宗金が免状発行権を握っている。その宗金は棋士としては大成せず、早くから引退の形をとり、免状発行の審査権を最初は小野五平(のちの十二世名人)次に関根金次郎(のちの十三世名人)に依嘱した。

 明治四十三年に宗金が没し、免状発行権は時の名人の手に移るが、それから昭和初期までは、時の実力者がめいめい免状を発行する習慣がつづいた。

 昭和十年に「実力名人制」が断行され、それからは日本将棋連盟の手に免状発行権が移されて、現在に及ぶわけである。

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