将棋の豆知識27〜28 光風社 将棋101話 転用
27 賭将棋-2010.01.01-
世は糸ヘン景気に沸いて、「ガチャ万」という言葉が流行したころだから、さほど遠い昔の物語ではない。
一夜にして巨万の富を得たという浜松在の織物主は、知合いの顔を見れば賭将棋に誘い、「成金者」らしく気前よく大枚を散じていた。
噂をきいた東京の某氏は、さっそくおし掛けて行って、まずは驚いた。盤に向う織物主は、世にも不思議な「脇息」に、でっぷり肥った躰をよせて指し始めた。よくよく見れば、その「脇息」なるものは、百円札を一万円束にして積み上げたものであった。
勝負の最中に、電話が鳴った。電話口に出た主は、座に戻ると、「脇息」から一束を抜取って、ぽいと投出した。
「失礼しました。やり直しましょう」
つぎに、手洗いに立つ。戻ると、また、ぽいと一万円。某氏が中盤で、「よし、この将棋はもらった・・・」と呟くと、「ああ、そうですか」と一万円を投出した。
初めは、札束を投げられるたびに相好を崩した某氏も、実際は一番も勝負がついていないのに、五万円の大金を手にして、さすがに味気なく感じて、早々と退散したという。
こんどは、キリの話をしよう。
戦前の話である。東京は下町に住む石屋の金さんは、生れた子に「桂一」とか、「銀三」とか、将棋の駒にちなんだ名前をつけるほどの将棋狂だった。悲しいかな、腕前のほうは、「下手の横好き」の部類である。
ある日、同業の若い職人に、きりきり舞いさせられて、財布は空っぽになってしまった。口惜しさの余り、「よし、もう一丁!」と挑み掛った。
若い職人は首を横に振った。すると、文無しになった金さん、苦しまぎれに、
「よし、うちの嬶を賭けようぜ」
落語に出てくるような話であるが、これは実話である。若い職人は、その勝負にも勝って、
「じゃ、一日だけ・・・」
ということで、美人で若い金さんの細君と手に手を取って旅に出た。
これには裏話がある。若い職人は、金さんの美人細君と相惚れの仲となっていた。そこで、うまく細君を連れ出すためために、賭将棋を仕組んだという。
賭将棋の世界からプロ棋界入りして、九段にまで上った棋士がいる。花村元司。アマチュアで賭将棋に凝っていたころは、「東海の鬼」という仇名があった。その世界では、その名は轟いていた。
前の話は、その花村さんからきいた。あとの話は、別の棋士からきいた。あとの話について感想を求めると、花村さんは、
「頓間な奴ですが、それくらいのことはやりますよ。女郎を賭ける連中もいますからね」
賭将棋のことを「真剣」という。その世界は、隠花植物のように、知らないうちに全国津々浦々に悪の種をまきちらしていた。
賭将棋といっても、ルールは変らない。にもかかわらず、賭将棋をする人は、「指し方がねばっこくて、すぐに判りますよ」と花村さんは語っていた。
その隠花植物も、いまでは、すっかり消滅してしまった。
28 悪の愉しさ-2010.02.01-
賭将棋を「真剣」といい、その仲間を「真剣師」と呼ぶのは、明治以降のことであるらしい。
江戸時代は、「印」といった。将棋三家の者は禄を食んでいたが、それ以外の「民間派」と呼ばれる連中は、賭将棋を渡世とした。そうしなければ、食べてゆけなかった。
なかには、藤堂和泉守のお抱えとなった田中順理という者もいるが、表向きはともあれ、順理は、印をつけた駒落将棋は天下無双といわれ、「勢州の鬼」と恐れられたという。
むろん、徳川幕府は賭将棋を堅く禁じた。それでも、禁令ぐらいで賭将棋はなくならず、そのまま明治の代までつづく。旧将棋家の面々も、ある時期は、生活のために「御法度」の賭将棋に手を出したこともあった。
明治十一年三月五日付の『朝野』紙は、
—埼玉県にては碁将棋集会所にて、金銭を賭けなどする者ありて、風俗を紊乱するに付、自今廃止せらるる由・・・。
と報じている。また、旧将棋家の一員である伊藤家の稽古所には、貼紙を出して、「・・・席上に於て其咄たりといへども無用之事」と戒めた。むろん、将棋指しの胸に巣食った「悪の愉しさ」は、貼紙ぐらいで防げるものではなかった。
ところで、賭将棋には表街道をゆく指し方と、裏街道をゆく指し方とがある。裏街道には、仕掛けがあった。大別すれば、二つの方法がある。
その一 —- サイン方式。
冬の季節、コタツをはさんで指す場合に多い。対局者のそばに、立合人然として坐っている仁が曲者である。
味方(対戦者A)とは、予めサインの打合せがしてある。たとえば、角を動かすときは、人差指を握る。飛車は、親指と決め手おく。
そう決めておいて、コタツのなかで味方Aの指を握って助言をする。ときに、誤って敵方Bの指を握ってしまって、大騒動が起きることもあった。
そのニ —- 継ぎ盤方式。
継ぎ盤というのは、専門棋士の対局のとき、控え室に盤を用意し、対局室から注進があると、それを並べて研究する盤のことをいう。それを利用したものである。
サイン方式のとき、盤側に坐った例の仁が、こんどは別室に隠れていて、実践と同じ局面を作っておく。味方Aが手洗に立つと、助言者は盤上の駒を動かしておく。ただ、それだけのことである。
味方Aは苦戦に陥ると、しばしば手洗に立つ。むろん、敵方Bに感づかれぬように振舞わねばならない。
こう書けば、すぐにも敵方Bに見破られそうに思えるが、そこをうまく立廻るのが、真剣師の腕の見せどころである。
もう一つは、真剣に特有の「飛角香」という手合割である。香落は一段差、角落は三段差、飛車落は四段差。この段差の大きい三番を一組として勝負をする。
一段差の香落で勝てない者が、どうして四段差の飛車落で勝てるのか。理屈通りにゆかないのが「真剣」の妙味というものであるらしい。