将棋の豆知識81〜82 光風社 将棋101話 転用
81将軍家治の棋力 -2014.11.01-
将軍家治は、自ら「御七段目」を唱えた。七段は、いまでいう名誉段であろう。最高の権力者である時の将軍であって、八段を唱えることは許されなかった。
こと将棋に関しては、わずか二十石取りの将軍家の権力は大変なものであった。八段は、将棋所の有資格者となるから、将軍に対しても許さなかったわけである。
将軍職を継ぐ前から、家治は将棋に熱心であった。神沢卓幹の『翁草』には、毎日、若侍衆を相手に将棋を指したと書いてある。勝った者は、負けた者の耳を引張るという約束があったとも書いてある。
将軍になっても政治向きのことは田沼意次に任せきりであった。老獪な田沼は、好きな将棋と絵に家治を没頭させ、政治を専断しようとした。どうも、そうした意図が田沼にあったような気もする。
晩年は、将軍家の者を招いて将棋を習い、詰将棋の創作に熱中した。
ほかに、中国から伝来した「七国将棋」に興味を持った。田安宗武が初めに習い、田安家では、しばしば、これを試みている。なかで、書院番戸田内蔵助の妹おくらが一番の巧者であった。
噂をきいて家治は、おくらを借受けて「七国将棋」を勉強した、と『当世武野俗談』に書いてある。それを習う目的だけでなく、おくらの美貌を耳にし、「七国将棋」にことよせて招き寄せたのではなかろうか。
いずれにしても、家治は、生来勝負事に才があったと書いてある。
実践譜は、私の知る限りでは、伊藤看寿との平手戦(負。年代不詳)、伊藤宗印との平手戦(安永八年九月)、御小姓大岡兵部少輔との右香落戦など九十五局が伝わっている。看寿との平手戦は、一応は一手違いとなっているが、看寿が手心を加えたことは明らかである。
七段を唱えたといっても、実際の棋力は、初段か二段ぐらいではなかったか。伝えられる棋譜には、家治のほうは「御」とだけ書いてある。「御名」の意味であろう。
実践譜にくらべると、詰将棋は、なかに立派な作品も混っている。作品百番を納める『象戯攻格』は、いまも、内閣文庫に蔵されている。
作品中、曲詰は、いかにも将軍職にある人らしく、おおらかな気品が漂う。第四十五番を紹介する。同じ曲詰でも「盤面曲詰」といって、出題図が物の形を示す作品である。
82将棋の日 -2014.12.01-
昭和五十年十月号の『将棋世界』に、私は「将棋の日 十一月十七日の意味」と題して、つぎの文章を寄せた。
その話は以前からあった。「将棋の日」を制定するのは、私も賛成である。こんど、日本将棋連盟が十一月十七日を、その日と制定したかげには、ファンの熱い声援もあったときく。プロとアマとの意見が一致して制定に踏切ったのは、慶賀の至りである。
江戸時代に御城将棋が催されたその式日を現代の「将棋の日」と定めるのも、将棋史の観点からしても妥当な選定であると思う。
御城将棋は、江戸幕府の「年中行事」の一つである。「年中行事」というところに歴史の重みがある。だから、毎年十一月十七日に江戸城の黒書院で対戦した。式日には、将軍が出御したし、老中や若年寄や寺社奉行といった重職が列席した。
絵巻物を見るごとく、それは華やかな、晴がましい行事であったという。
御城将棋の記録を留める将棋家の記載は延宝八年(一六八〇)より始っている。その以前—寛永のころから、御城将棋の行事はつづいている。享保元年(一七一六)、八代将軍となった吉宗は令を発して、毎年十一月十七日を式日と定めた。布令には、
—寛永の御吉例により・・・。
と書かれている。
御城将棋の行事は、文久元年(一八六一)を以て中断した。その後も、さまざまな形で復活を試みたけれど、むなしく夢に終っている。百余年経ち、みごとに再興が成った。新しい「将棋の日」は、将棋を愛するすべての人の式日である。
いく十年かすぎて、時の人は「昭和の御吉例により」と回想しつつ、その日は全国津々浦々、駒音が響きわたることであろう。
そうした、後々の盛大な日までを、いま私は愉しく思い浮かべている。
もう、だいぶん以前から、「将棋の日」を制定すべきではないかという意見を私は持っていた。ある時期は、その日をいつにすべきか調べてほしいという依頼を受けたこともあった。
その日は、日本将棋連盟誕生の日、実力名人戦発足の日、御城将棋の日と、いくつか候補があった。古い文化に支えられて将棋は生れ、発展してきたのだから、やはり、御城将棋の日が一番いいと私は考えていた。
連盟の理事会も、論を重ねて、十一月十七日の御城将棋の式日を「将棋の日」と定める結論を出した。それを聞いて、やはり私は嬉しかった。
第一回「将棋の日」は、制定を記念して、東京・蔵前の国技館を借切ってファンを招待した。NHKが全面的に協力して、その日の模様をテレビで全国に放映した。
土俵のうえで十段戦の大山・中原戦を公開した。タイトル戦を公開したのは初めてのことで、両人は進んで協力を申し出たときいた。
テレビに私も出演して、「将棋の日」が末広がりに盛んになってゆくことを願う、と語った。将棋ファンなら、だれしも、そう願うことであろう。
これからは、毎年、その日がめぐってくるのが私には愉しみだ。