63駒は黄楊に限るべし -2013.2.01-

 昔は駒のことを棊子とか、馬とか書き、俗称として、駒の字を用いた。いまは、駒の字に統一されている。

 駒には、じかに墨で書く「書き駒」と「彫駒」と「彫埋駒」と「盛上駒」とがある。昔はすべて「書き駒」であった。彫駒ができたのは、幕末になってからであろうか。

 棋士仲間で駒といえば、彫駒、彫埋駒、盛上駒をさす。対局に用いるのは、最高級の盛上駒である。

 駒の材料は、「将棊口伝書」に、「駒ハ黄楊ニカギルベシ」とある通り、黄楊を以て最上とする。品位がある。黄色くて、すこし赤味かかっていて、使っているうちに飴色に変じて輝きを増す。黄楊駒ならではの味である。

 主産地は、伊豆七島。サツマツゲというのは、薩摩の南の島々で産する。天城山にも産するが、駒の材料にするほどの量ではないという。

 黄楊には、草ツゲ、犬ツゲ、山ツゲと称する種類もある。それらと区別して、駒の材料に使うものを「本黄楊」と呼ぶ。

 植物図鑑によれば、たとえば、犬ツゲは、「葉はツゲに似るが、ツゲのように良くない」ところから名づけられ、「もちのき科」に属する。本黄楊は、亜熱帯植物である。なかに、樹齢百年を数えて直径七、八寸の巨木は、「尺もの」と呼ばれるが、鉄砲虫の食害があって多くは使いものにならないという。

 本黄楊は、戦前は小笠原諸島からきた。小笠原諸島が米国の統治となる間に、主産地は伊豆七島に移った。伊豆七島では、黄楊は村有林となっている。

 島の人たちは、村有林で伐採したものを二尺八寸の長さに伐り、船で内地に送りこむ。黄楊を扱う業者は、櫛屋、ハンコ屋、バチ屋(三味線の)、コマ屋、それと駒師である。近ごろは、輸出用のチェス盤も黄楊で作られている。

 黄楊駒のなかで、柾目のものが高級とされる。糸柾、並柾、荒柾というのは、柾目の精粗によって名づけられる。同じ柾目でも、赤柾とか虎斑は、ことに珍重される。

 以前、駒師の宮松幹太郎を訪ねて、伊豆七島から届いたばかりの原木を見せてもらったことがある。二尺八寸の原木は、樹皮は灰白色に見えた。なかに、樹皮の一部に薄墨色の波模様を描くものがあった。

 「実物をお目にかけましょう」

 と宮松氏は、輪切りにした木片を示した。

 それはただ、薄墨を落したような斑点としか見えなかった。宮松氏は、さっとカンナを掛けた。忽然として虎毛の斑点が浮き出してきた。虎斑の駒の材料であった。

 江戸時代は、黄楊材の駒は少く、椿とか桜材で作っていた。黄楊材を用いたものは、幾百年経っても変色せず、保存さえよければ、新品同様であるという。江戸初期に作られた「中将棋」の駒を見たが、なるほど、幾月の経過を忘れさせるほどに新しく感じた。

 世に伝わる古い駒は、すべて「書き駒」である。先年、五十嵐豊一八段に千葉の旧家に案内されて、享保時代の駒を見せてもらった。駒箱から取出せば、いま出来のごとく新しく見えた。

 材質は、私の見るところ、桜材であるらしかった。「書き駒」である。いまの駒にくらべて、かなり大振りであった。

64駒作りの秘法 -2013.3.01-

 駒師の宮松幹太郎氏から、駒作りの技法を教わった。商売に差支えるので、オフレコという条件であった。「私が死ねば、構いませんがね」と冗談をいっていた。

 その冗談が真となり、業半ばにして宮松氏は逝いた。仕事用の小形の駒を作ってもらったのは、亡くなる半年ほど前である。それが、形見のようになってしまった。

 古いノートから、オフレコであった技法を抜出して見る。故人も、それは許してくれることであろう。

 彫駒、彫埋駒、盛上駒は、それぞれに仕上げに至る道順が異っている。工程によって、駒の区別が生れるわけである。

 黄楊の原木は二尺八寸が規格。それを一寸二分の輪切りにする。それを底三部三厘、頭一分五厘の厚さに櫛型に挽く。板目と柾目とを選別する。それを井型に積上げて天日に干す。夏なら、一ヶ月も干せば、からからに乾燥してしまうという。

 乾き切ったところで、ノコギリやノミを使って、駒の原型を作り出す。そこで、薄美濃紙に駒の銘を写したものを貼りつけて彫りに掛る。美濃紙を用いるのは宮松氏の独創であって、普通はハトロン紙を使う。刀も版木刀が多いが、宮松氏は、印刀の仕上刀を使っていた。

 彫駒の仕上げ。
 (1)駒にラックを塗る。半日で乾く。天童や大阪では、ニカワを使う。
 (2)ウルシを刷毛で塗る。半日で乾く。
 (3)乾けば、ペーパーか砥石で粗くけずる。貼りつけた美濃紙を除くため。
 (4)仕上砥で仕上げる。
 (5)瀬戸物で一つ一つ磨きをかける。瀬戸物は何でもよい。宮松氏は碍子を使う。握るのに便利だからだという。
 (6)最後に蝋を塗る。

 彫埋駒の仕上げ。
 (1)文字を彫ったあとに柿渋を塗る。濃く塗りすぎると、あとでウルシがぬける。薄いと、染みてしまう。
 (2)砥粉を粉にして水で練り、ウルシを混ぜたもの—これを(1)の柿渋を塗った駒になすりこむ。
 (3)乾けば、砥石でとぐ。ペーパーは用いない。
 (4)最後は瀬戸で磨く。

 盛上駒の仕上げ。  彫埋駒と同じ方法であるが、前記(2)のときに、ウルシの量を多くする。最後はウルシで文字を書き加える。字を書くときは面相筆(穂先の長い画筆)を用いる。

 彫埋駒は、彫った文字をウルシで埋め、その文字が浮き出さずに駒と同じ平面になっている。駒師仲間では「埋上」とも呼ぶ。貴公子にたとえられる品のある駒で、専門棋士好みといわれる。盛上駒は、彫埋駒の文字の上にさらにウルシで書き加えて、その文字がまるで、じかに駒を書いたように盛上って見えるところから、その呼称が生れている。

 以前、木村義雄十四世名人蔵の古い駒を見せてもらったことがある。後水尾天皇宸筆の駒だか、御城将棋に用いたという駒は、ウルシがはげ落ちて、文字も判じ難いものがあった。むろん、すべて「書き駒」である。

 彫駒や彫埋駒や盛上駒といった高級駒は、初代牛屋氏のころ—幕末から作り始められたものではなかろうか。

 宮松氏も、それには同じ意見であった。

 [後記]駒の手入れ
 第一に、使う前に油布で拭く。手垢が木地にしみこむことがなく、年経て飴色に仕上ってゆく。手間を省いて油漬けにしては、ウルシがはげて失敗する。
 第二に油は純粋な椿油に限る。市販の椿油は純粋でないから、代用として純粋な天ぷら油を用いる。天ぷら油も、高価な品ほど混ぜものがある。要注意。

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