91縁起をかつぐ -2015.09.01-

 勝負をする人間は、だれでも縁起をかつぐ。タイトル戦では、対局地を決めるにしても、負けた場所は気が重くなるらしい。大山康晴名人に、気になりませんか、と訊くと、

 「気にしてたら、ゆくところがなくなってしまうんですよ」

 二十年余り、タイトル戦で全国を歩いた大山さんとすれば、そんあことは気にしていられないのだろう。

 縁起をかつぐことをしない大山さんも、そっと漏らしたことがある。勝ちつづけるときは、同じ扇子を使う。だから、扇子がぼろぼろになっているときは、「だいたい、調子がいいときですよ」ということであった。

 いまの若い人は、合理性を尊重し、また対局数も多くなって、いちいち、縁起をかついではいられないらしい。その点、古い人は病的なほどジンクスにこだわっていた。

 戦前、木村義雄と覇を競った花田長太郎(贈九段)は、いつも座る場所を決めていた。あるとき、下位者と対戦して上座を与えられて困り果て、「頼むから替ってくれ」と下位者に上座をおしつけた。

 戦後の棋士で、ひどく縁起をかついだのは大和久彪七段(贈八段)である。飛車の駒が割れたときも、気にしていたという。

 盤上で駒が縦に並ぶのは不吉の兆だ、と大和久さんは信じこんでいた。稽古将棋で、そういう局面ができそうになると、「縁起が悪いといいますから」とそっと局面を崩して指し直しをするという。

 しかも大和久さんは、古今の棋譜を調べて見たが、駒が縦に並んだ将棋は一局もない、と力説した。「昔の人は、そういう不吉なことは避けたんですよ」と我が意を得たりという顔で語っていた。

 ことにあろうに、その大和久さんが松下力八段と対戦するときに、駒が縦に並ぶ局面が出現した。相手の松下さんは、大和久さんのジンクスを知らない。後手が駒組をするとすれば、二銀の一手である。ノータイムで松下さんは、二銀と立った。

 そのとき、大和久さんの顔色が、さっと変るのを私は見た。公式対局でなければ、大和久さんは、相手が銀の駒に手を掛けたとき、「縁起が悪いですから」と局面を崩して指し直しを頼んだことであろう。

 公式戦では、そういう吾儘は許されない。大和久さんも、一局の勝敗に生活がかかっていることでもあるし、気を取直して指しつづけた。

 そのせいかどうかは知らないが、本局は大和久さんの敗局となった。

 そのせいかどうかは知らないが、それからいくばくもなく、大和久さんは病を得て、忽然として逝いた。

 駒上で駒が縦に並ぶのを「不吉」と大和久さんは信じていた。ところによっては、逆に、それを「大吉」とするという。

 大和久さんほどでなくても、勝負する人間は、大なり小なり、ジンクスには無関心ではいられないだろう。それが、人間というものである。

92長考の記録 -2015.10.01-

 持時間制ができたのは、大正13年、東京将棋連盟(日本将棋連盟の前身)が一局、一人16時間と申合せたときからである。

 それ以前は、いく日もかかって、のんびりと指していた。大正8年10月、土居市太郎は上京した木見金治郎と香落番の対局をした。

 三日目、長考派の木見は朝から考えこんでいる。やたらと煙草をすうので土居は頭痛を起し、妙薬を取りに四、五丁先の自宅に帰った。そんなことも、当時は許されていた。

 自宅で一服して、さらに銀座をぶらついて対局場に戻ると、木見はまだ考えこんでいた。夕刻、酒好きな木見は、「一杯やる頃合いでんな」とやっと手を下した。その一手に、何と8時間を費した。

 大正11年に、木村義雄(当時五段)が大阪で高浜禎五段(故人)と対戦したとき、木村の7六歩を見て、高浜は3四歩と突くのに一時間半も長考した。

 新聞棋戦が生れて、余りのんびりしていては対局が進行しないので、持時間制が採られるようになった。16時間にしたり、12時間にしたり、いろいろと案を出したが、当初は時間制になじめなかったらしい。

 大正14年、朝日棋戦で、特別に8時間制で木村と金易二郎が対戦した。長考派の金は、中盤で時間切れとなり、木村は「時間勝ち」の記録を作った。第13期名人戦の升田・大山戦でも、一分将棋となって升田は時間が切れて無念の涙を呑んだことがある。

 持時間制ができてから、長考の記録を調べて見た。カッコ内は持時間を示す。

 金子金五郎 6時間34分(11時間)
 坂田三吉 6時間(30時間)
 萩原 淳 5時間7分(12時間)
 金子金五郎 4時間49分(11時間)
 木村義雄 4時間26分(15時間)
 木村義雄 4時間16分(13時間)
 木村義雄 4時間13分(8時間)

 ベスト・セブンを示すと上の通り。いずれも、長考派といわれる棋士たちである。なかで、持時間8時間のなかで、序盤で4時間13分考えた木村は、長考記録の持主ということとなろう。

 第六期名人戦で木村は、7六歩3四歩2六歩5四歩2五歩5五歩2四歩同歩同飛3二金3四飛5二飛2四飛・・・に対して、5六歩の超急戦に応ずるのに、4時間13分を費した。その結果、木村は破れて塚田正夫九段に名人の座を明け渡した。まさに、運命的な大長考であった。

 木村門の花村元司九段は、超早指しの棋士である。「2分以上は長考の部類」と豪語してはばからない。その花村も、持時間7時間の対局で、終盤にきて、3時間58分の大長考をはらった。「悪くなって考えても、もう手遅れですよね」と、アマ出身の九段の先生は頭をかいていた。

 戦後は、7時間になった。物の不自由なころで、対局が終り、感想戦を済ませて一息ついたころ、一番電車が動き出す—その時間を逆算して7時間と決めたという。

 その後は時代の流れか、持時間は減り、6時間となった。5時間、3時間の棋戦も誕生した。

 『週刊文春』主催の「名将戦」は2時間で、チェス・クロックを用いる。

 持時間は短くなっても、好局は生れる。それがプロの器量というものである。

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