Q9 「囲碁」「碁打ち」の別称は?-2007.06.01-

囲碁、碁打ちの別称

 爛柯・坐隠・手談などの古称からはじまって、長い歴史の中でじつに多くの別称、異称が生まれております。

 ほぼ定着したと思われるものを表にまとめてみました。あなたは、いくつ知っていますか?

Q10 「碁盤」「碁石」「碁笥」は?-2007.06.01-

碁盤、碁石、碁笥の別称

 碁盤・碁石・碁笥も同様に、多彩な別称が与えられてきましたが、代表的なものを掲げます。

 いずれも歴史を感じさせてくれる言葉ですね。

Q11 日本への伝来はいつごろ?-2007.07.01-

隋書・倭国伝

 江戸時代の記録には、吉備真備(六九五〜七七五)が遣唐使の一員として唐から囲碁を移入したとする説がありましたが、現在は否定されております。

 真備以前、すでに多くの囲碁にかんする記録が残されていたからです。たとえば、『古事記』には碁の文字が当て字として使われ、また『常陸風土記』『出雲風土記』には海岸でとれる碁石の記述が見られます。また、六三六年に成立した唐の歴史書『隋書・倭国伝』に日本での囲碁事情が書かれています。

 したがって、少なくとも六世紀、いやもっと早くて五世紀ころには倭の国(日本)に伝わっていたことも考えられます。

Q12 伝来のルートは四通り?-2007.07.01-

 想定される日本への伝来としては、次の四ルートが推察されます。

 一、 中国→日本
 二、 中国→朝鮮→日本
 三、 朝鮮→日本
 四、 チベット地方→日本

 いずれも現状では、断定するには足る資料や証拠は見つかっておらず、否定する材料もありません。

 ただ一つ言えることは、百済の義慈王(在位六四一〜六六一)から藤原鎌足あてに碁石(撥鏤棊子)と碁石入れ(銀平脱合子)が贈られていたことが「東大寺献物帳」(国家珍宝帳)に記録されていますから間違いありません。ただしこの時、「木画紫檀棊局」(専用の碁盤入れ「金銀亀甲龕」に収められていました)一面とともに三点セットとして同時に送られてきたことは、ほぼ断定できそうです。

 ようするに、真備が唐から帰国する前、すでに日本では盛んに囲碁などの遊びが盛行していたことは事実でしたし、また古代において、すでに囲碁による国際交流が活発に行われていたことは、まずもって痛快事と言わなければなりません。

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