41 緑台将棋-2011.3.01-

 夏は緑台将棋の季節である。将棋は、道具が簡単という利点があって、江戸時代から大そう盛んであった。

 以前、甲州に旅をしたとき、和紙の産地で知られる市川大門でバスを待っていると、近くの農家の縁先に将棋盤がおいてあった。将棋盤といっても、机の引出の裏底にマス目を書いたものであった。

 いまどき、珍しいと思った。それこそ、江戸の昔からつづく庶民の知恵というものである。

 寛政の改革を断行した松平定信は、役を退いて、随筆集『退閑雑記』を刊行した。そのなかで、「ゆたかなるは将棋なんぞするものあれど、箱のうらに紙はりて盤とする」と書いている。老中筆頭の顕職にあって、市井の人の生活ぶりをつぶさに見ていたらしい。

 ただ、そのあとで、京大阪にくらべて江戸の人の調度がまずしいのは、「ものの奢なきは、江戸の火災によるといひしなり」と書くのは、いささか、我が田に水を引くに似た理論のような気がする。

 江戸の庶民は、盤も駒も手造りで、寸暇を見出しては勝負を争った。朝倉義景の屋敷跡から出土した「朝倉駒」は、すべて曲物を利用した手造り駒であった。

 下って、江戸期は享保のころ、江戸の地本問屋で知られる鱗形屋は、「懐中将棋」を売出して人気を博した。たぶん、盤も駒も紙で作ったものであったろう。

 江戸時代は、緑台将棋という用語はなかったらしい。「下手将棋」と書くのが、いまでいう緑台将棋である。

 その「下手将棋」を題材とする川柳は多いが、佳句といえるほどのものは見当たらぬように私は思う。

 歩と香車座頭の方は付木でし(初編12)

 句にいう「座頭」は、徳川幕府が定めた盲人の官位を示すものではなく、たんに、目の見えない人という意味。「付木」は、いまでいうマッチのたぐいである。

 山東京伝は文化十年(一八一三)に開板した読本の『双蝶記』という将棋を題材にした物語で、「携へたる懐中将棋を取り出して、盤の紙を芝の上におし披けば、塵兵衛も向ひ合ひ、互にならぶる駒の数、磯の小石と貝殻は、歩の不足とぞ見えにける」と書く。いまも、よく見受ける光景である。

 とんだ時ニ歩をみつける下手将棋(万句合・明和六年の投句)

 これも、よくある情景である。アマチュアは、うっかりニ歩を打つ。プロは、いつも先の局面を想定し、すでに歩は成り捨てたという読みで、うっかり歩を打ってニ歩に気づく。プロの場合、ルール違反は即刻、負けとなってしまう。

 下手将棋袖をひかれてねめ廻し(万句合・天明五年の投句)

 まず盤の足をねじこむ下手将棋(拾遺十編14・明和三年の句)

 下手将棋湯殿でもまだまけにせず(万句合・明和三年の投句)

 掛合にうわ言をいふ将棋さし(拾遺九編24・明和元年の句)

 「掛合」は、掛合万才よろしく、わけのわからぬことをいって将棋を指している意。類句に、「かけ合にうわ言をいふ将棋好キ」というのもある。

42 歩三兵にてなぶられて-2011.4.01-

 将棋遊びのなかで、歩三兵は、まぎれもなく将棋のルールに基づくゲームである。下手は、ふつうに駒を並べ、上手は特駒に「歩三枚」を持つ。

 将棋遊びを卒業して、いよいよ、本将棋に進むとき、たいていの方は、この歩三兵で上手にいじめられた経験を持つだろう。私も幼い日、近所の大人に歩三兵で勝てない辛さを味わったことがある。

 将棋のルールに基づくとはいえ、実際は将棋とはいえぬ、たわいないゲームである。だから、江戸時代でも、歩三兵といえば、下手将棋の代名詞として通用していた。

 山東京伝は、洒落本の『娼妓絹篩』(寛政三年刊)で、「つかひはたして二歩残る亀屋忠兵衛は歩三ぶやうでもつまらぬ身の上」と書く。物語は、近松門左衛門の『冥途の飛脚』を下敷きとしたものだが、幕府の出版禁止令の目をかすめて出版したその本で、京伝は「手鎖五十日」の罰を蒙り、以後は洒落本の筆を絶つこととなってしまう。

 式亭三馬は、滑稽本の『古今百馬鹿』(文化十一年刊)で、「てめえたちは歩三兵で相応だ」と書き、挿絵に、「歩三兵でも手にたりぬへぼめらと/声高飛車の将棊あらそひ」という狂歌を詠みこんでいる。

 楠に歩三兵にてなぶられる(拾遺五編27・明和中)

 御存知の「千早城合戦」で、楠正成の軍略に悩まされる攻方を「歩三兵」で「なぶられる」と見立てた。『太平記』の原文は、すでに「将棋倒し」の頁で紹介した。

 幕末の篤農家として知られる二宮尊徳(通称金次郎、安政三年没)も、『二宮翁夜話』のなかで、歩三兵という将棋用語を例にとって人の道を説いている。

 —翁曰く、交際は人道の必要なれど、世人交際の道を知らず、交際の道は碁将棋の道に法とるを善とす。

 夫そ将棋は強き者駒を落して、先の人の力を相応する程にしてさすなり。甚しき違ひに至っては、腹金とか歩三兵と言ふまでに外すなり。是れ交際必要の理なり。

 己富み且才芸あり学問ありて、先の人貧ならば、富を外すべし。先の人不才ならば、才を外すべし。無芸ならば、芸を外すべし。不学ならば、学を外すべし。是れ将棋をさすの法なり・・・。

 「腹金」とは、たぶん、六枚落の「金銀将棋」のことをいうのであろう。それとも、文字通り、「玉と金二枚」というのであろうか。いまの将棋用語で「腹金」とは、玉の横に金を打って詰めるテクニックをいう。「歩三兵」は、尊徳のいう「腹金」よりは、もっと初心者向きのゲームである。

 さきほど、『太平記』の「将棋倒し」のことに触れてたので、ついでに。

 囃子方将棋だおしにけつまつき(万句合・宝暦十一年の投句)

 一人が失策ったので、他の連中も巻きこまれてしまう。その連鎖反応を「将棋倒し」という将棋の緑語で表現した。本来の「将棋倒し」とは意味が異るが、川柳の「言葉遊び」としては許されるのであろう。

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