43 勝瀬せいて-2011.5.01-

 川柳で、歴史を題材としたものに佳句が多い。信長の最期を詠んだ「本能寺端の歩をつくひまはなし」の句のことは、すでに書いた。歴史を題材とする川柳で、一番私の好きな句である。

 飛車角を勝瀬せいてただとられ(十五編31)

 長篠合戦。天正三年(一五七五)五月二十一日、信長・家康の連合軍は三河国に武田勝頼を攻めて大勝した。そのとき信長は、初めて鉄砲隊を用いて武田勢を驚かした。若い勝頼は、ことをせいて、飛車と角とに比すべき大事な武将を失った。

 武田勢といえば、勝頼の父信玄は名だたる武将であり、同時に、民政に意を用いるすぐれた行政官であった。笛吹川の政策は、いまに信玄堤の名をとどめる。

 水の流れを緩和するために、信玄は将棋の駒形に堤を築いた。それを、「将棋頭」と呼んでいる。何かのおり、そのことを埼玉県与野市に住む鈴木嘉一郎氏に語った。氏は、会社勤めをするかたわら、江戸の文芸を研究する篤志家である。ほどなく、つぎの句があることを教わった。

 振り袖を将棋頭にむごいこと(傍四編24)

 ここでいう「将棋頭」は、仏像の上に飾る天蓋の屋根に当るところが将棋の駒の上辺に見えるところから、天蓋の意。句は、若くして死んだ娘の供養にと、形見の振袖を天蓋の幡(仏や菩薩の威徳を示す荘厳具)に直して寺に奉納した、ということであろうか。

 尻から金と打たれて石田まけ(三十四編・31)

 金吾中納言小早川秀秋は、関ヶ原合戦で話題の人となった。「金」は、その人。「石田」は、西軍の総大将石田光成と、将棋用語の「石田囲い」とを縁語でかける。

 金吾中納言は、初め豊臣秀吉の養子、のちに、小早川隆景の養子となって、関ヶ原合戦は西軍に属した。のち、東軍に寝返りをうち、大坂敗戦の因を作った。

 投句者は、中国の白話小説の主人公を題材とすることも多かった。日本の古典を下敷きとした句も多い。『曽我物語』の主人公を詠んだ句は、「待ち駒」の項で書いた。『平家物語』巻五の「咸陽宮の事」から取材した句もある。

 きき納琴をと王の一ツ手すき(六編22・明和八年刊)

 —荊軻は仇を報いようと奏の咸陽宮に至り、始皇帝の求める人の首級を携えて拝謁を願う。帝は、荊軻が氷のような剣を隠し持つことを知って逃げようとする。荊軻は、とっさに剣を胸にさし当てる。帝は、

 「暫時の暇がほしい。后の琴の音をいま一度聞かん」

 という。琴の名手、花陽夫人が琴をひく。荊軻も思わず首をうなだれ、耳をそばだてて、一瞬、殺意を忘れてしまう。

 后は、さらに一曲を奏する。その曲に合わせて帝は屏風を跳り越えて逃げ、運よく難を免れる・・・。

 将棋用語の「一ツ手すき」をとらえて十七文字を綴るにも、裏にはこうした故事がかくされている。川柳を理解するのは、私にとって、いまも大そうむずかしい。

44 王手飛車手をかけたがり-2011.6.01-

 いく年か前から、「将棋竹帛会」を作って、年に一度か二度、試合をする。メンバーは、井伏鱒二、小沼丹、三浦哲郎の作家たちと、画家の新本燦根、大竹次郎、須佐圭四郎の諸氏に私が加っている。優勝すれば、井伏先生に白いリボンに年月日と名前を書いて戴き、晴れがましく優勝カップに結びつける仕来りとなっている。

 小沼さん(三回)、新本さん(二回)、井伏先生と私が一回というのが、昭和五十一年四月現在におけるメンバーの「公式記録」である。

 その将棋会で、どうしたわけか、王手飛車を狙う癖が私にあった。初めのころは成功して北叟笑んだが、近ごろは、とんと通じなくなって失敗を重ねている。その話を大山康晴名人にすると、

 「それは、滅茶というもんですよ」

 と呆られてしまった。

 プロは、計算したうえでわざと王手飛車を掛けさせる。持駒の角を使い、王手飛車をして飛を取っても、それは角と飛を取り替えたにすぎない。角は遊び駒となり、その間の手損も大きい。

 そうした理論から、「よほどの利が望めない限りは、やたらと王手飛車を掛けては損ですよ」と注意を受けた。

 そういわれても、王手飛車を掛けるのは痛快である。なかなか、やめられそうにない。

 王手飛車は江戸時代は、「飛車手王手」と書くことが多かった。川柳には、その「飛車手王手」が大活躍をする。

 飛車手王手をする時のその早さ(万句合・明和七年の投句)

 得意の絶頂。指すゆびまでが勇み立つことであろう。「その早さ」に実感がこもる。私の好きな句である。

 王よりは飛車が逃げたい下手将棋(三十五編24・文化三年刊)

 人口に膾炙することでは、右の句が一番であろう。川柳としては月並である。「へぼ将棋王より飛車を可愛がり」という句も、よく知られるが、さらに月並である。

 らんかんへ飛車手王手の首くくり(万句合・明和五年の投句)

 橋の欄干に縄をかけて首くくり。その縄が切れて首くくりに失敗しても、川に落ちて溺れ死ぬだろう・・・それを「両取り」の王手飛車にかけて詠んでいる。

 首をくくるという追い詰められた気持を、さっとはぐらかした洒落っ気。着想が面白く、また奇抜である。

 とらまへたていしゆは飛車手王手也(万句合・明和三年の投句)

 亭主が、わが女房が間男をひき入れている現場をおさえて、王手飛車を掛けたという。将棋用語をかりた言葉の遊びである。

 王手飛車は、プロの理論はいざ知らず、アマチュアの場合、たいていは、掛けたほうが勝つだろう。不意討となるからである。

 勝ったときは、「かち将棋いかにとならし居」と元気づき、負け将棋は、「まけ将棋にげるたんびに御手は何」となる。

 負け将棋の句は、題句が、「うろたへにけり」となっているのも皮肉である。

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