Q5 古代の碁盤は17路だった?-2007.04.01-

石製碁盤の写し 「花点」が五つ彫り込まれている

 一九五二年(昭和二七)、中国河北省望都県の漢代武将の墓(一八二年埋葬)の中から石製の大きな碁盤が出土しました。これがなんと17×17路の碁盤だったのです。

 邯鄲淳という人物が『芸経』という本に書いていた「棊局縦横各十七道、合わせて二八九道」という文章が、はからずも、この現存最古の石製盤の出土により立証されることになりました。

 右の図をよく見てください。17路であることは無論ですが、いわゆる星(中国では花点)の形がハートというロマンチックなもので、九つではなく五花点。古代から約二千年間も五花点の碁盤でした。

Q6 古代は「事前置石法」だった?-2007.04.01-

初めに白黒二子を置き合ってから打ちはじめる事前置石法

 前述のとおり、漢代の碁盤は「17路五星盤」だったことが知られています。つづく隋代以降になると「19路五星盤」に変化していますが、今から百年ほど前までの長い間、ずーっと五星(花点)のままだったということです。

 その碁法、様式は「互先事前置石法」といって、対局前に四隅の相対する星(4の四)に白星各二子を交互に置き合い、そして、第一手から打ちはじめるというのです。日本人から見ると、奇異に思われますが、少なくとも二千年以上もつづいた碁法はそれなりの根拠があったはずです。

Q7 「爛柯伝説」とは何ぞや?-2007.05.01-

王質爛柯図

 爛柯は(らんか)と読みます。爛は腐る・ただれるという意味があり、柯は斧の柄の呼称です。すなわち、「斧の柄が腐り果てる」というのが、この雅称のいわれ。普代の伝説(『述異記』)です。

 ある時、王質という樵が山中で四人の童子が碁を囲んでいるのを眺めているうちに時の経つのも忘れ、気がつくと持っていた斧の柄がすっかり腐りはてていました。おどろいて家に帰ると、人々はみんな死んでいなくなっていた、という故事から。

 それほど魅力がいっぱいである、と囲碁を謳歌していることになります。

Q8 「坐隠」「手談」の意味は?-2007.05.01-

 長い歴史の中で、囲碁には多くの異称が生まれました。太古の昔は「奕」とか「棊」とか書かれていましたが、魏から普の時代(二二〇-三一六)にかけて「坐隠」「手談」という別称が広まります。

 『世説新語』(劉義慶)という書物に「王中郎は圍棊を以て是れ坐隠となし、支公は圍棊を以て手談と為す」とあります。

 「坐隠」とは漢代以降、戦乱をきらった知識人たちが世俗の雑事から逃れて田舎に隠遁し、自由な談論や清談に明け暮れた生活を営み、時に囲碁を囲んだことから出た雑称です。

 「手談」とは、碁を囲むのに言葉は必要なく、もっぱら盤面に集中して手を読み、一手一手の意味するところを推理し、予測し、判断することから、あたかも「碁石による会話」を楽しむかのような雰囲気がかもしだされることをいい、これが囲碁の大きな特長であります。

 外国人でも同じで、言語・国境・年齢・性別に関係なく、だれとでも、いつでも、碁盤と碁石さえあれば、お互いの意志が通じるということを意味します(近年はインターネット対局が盛んです)。

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